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9月12日 ケーキ

2007年の9月17日にこのブログを立ち上げた経緯をちまちまと綴ろうと思う。
できればもっときれいな言葉でスマートに書きたいとは思うけれど
今の自分の力で精一杯のことばで、伝えられることを願う。

あまりやる気のない身体で、下書きもないままにどこへ行くのか分からないけれど
しばしお時間を頂けたらと思う。


0.

10年経ったからこそ言えることがある。それがなにであったっとしても。

初音ミクの衝撃的な登場から早10年。
ミクが発売した当時ニコニコ動画は隆盛を誇り、音楽の世界が本当に変わったとまで言われた。
ちょうどミク関連のニュースが流れてくるとうちのブログもそろそろかと思うようになったのはいつ頃だろう?

加えて今年、iPhone登場から10周年ということでiPhoneXが登場した。
2007年、iPhone登場で米国を中心に世間を賑わせていた頃、
10年前の当時、遠い海の向こう側の出来事と思いながらもついに自分も携帯電話を持つ日が来たかと思った。
その時日本で誰もが当たり前に持っていた折りたたみ式のいわゆるガラケーとは何もかもが違った。

世界が目まぐるしく変わろうとしているその最中にこのブログが誕生した。


1.

さらに遡ること10年ほど前のこと。
Microsoft社からWindows98のパーソナルコンピューター用OSの発売、
w95よりもずっと進化し個人が普通にパソコンを持つようになったのが現実的になった時代
技術職だった父は自分自身のために家族のためにヨドバシカメラで突然パソコンを買ってきた。
買ってきたと行っても当時windows98は30万円程度していたし、家族を持つ父としては大きな冒険だったと思う。
その日のことは未だに鮮明に覚えている。子供ながらにその時、母がみせた顔はあまりにも印象的だった。
当時小学生だった自分は、ハイスペックすぎるその似つかわないおもちゃに日夜釘付けとなった。
あまりにもずっとPCばかりを弄っているものだから母に心配されたこともあった。

自分は、紙の本が普通に読めない。
それが文庫でもマンガでもあってもだ。少年ジャンプですら興味がなかった。
なぜだか分からないが、活字というものがものすごく苦手な子供だった。
今でも本はほとんど読まないのだが、まともに読んだ本というのは数えるほどしかない。
そんなので国語がとにかく苦手、中高の現代文のテストはほぼ運まかせみたいなものだった。

ただそれが、デジタル、液晶画面になるとある程度読めるようになるのだ。
世間では新聞や本を読めと口うるさく言われるが、かまうことなくPCに齧りついていた。

世間よりも早くいつのまにか自分はPCがない世界は考えられなかった。
何よりもPCが好きで、母に言わせると子供の頃やっていたことはPCくらいしか記憶にないという。
PCが好きだと言っても何か特別なことが出来るわけではないし特別やりたいこともなかった
しかし、インターネットの登場でPCはただの演算機から世界と繋がるための窓となった。


もともと、幼い頃から言葉の出が遅かったと母は言う。
言葉を知らない上に活字が読めないのだから、同級生の中でも年を取るとともにそのの差は年増に大きくなっていった。
小学校では作文なんてかかせたものなら、クラスの友達が次々に終わらせていく中で、
毎度のことながら時間内に書けずに家へ持ち帰ったりした。
それでも書き上がらないのだから、そのまま宿題を踏み倒したりもしていた。
作文が大嫌いだった。中学の読書感想文はインターネットの力を借りて何とかした。

ことばが分からないのだから他人とのコミュニケーションもちぐはぐで一方的だった。
いわゆるコミュ障なのだが、それがどうにも普通のコミュ障とは違うようである。

このコミュ障、コミュニティとの疎外感をいっそ加速させてしまったのが携帯電話の普及である。

あの小さな画面と小さなボタンしか付いていないガラケーで
他者とコミュニケーションを取るなんてことは考えられなかった。
親や友達にケイタイをすすめられても自分には必要ないとすべて断った。

ケータイとはなんと不自由なことだろう。
というのもそれまでいや今も、携帯電話というものを持っていない。

高校では誰もが普通に携帯電話を持っているにもかかわらず、一人だけ持っていないような状態で
クラスの友達がメールを使ってネットを介して色々なやり取りをしていく中で
本当のコミュニティの中には入れずずっと孤独感が漂っていた。

それでも国語以外の成績はなぜだかよく出来ていて
マジックなんかが好きで少し出来たものだから、えらい変わり者としてクラスにでは存在感はあったと思う。

そんな高校生活もある夏を境におかしくなってしまう。
元凶となった出来事はいくつかあったのだけど長くなるのでここでは省略するが
高校2年の夏頃、当時進学校にいたために夏休みというのは実質ないに等しく
皆課題と部活に追われるせわしい日々を送っていた。
自分は高校の時運動部には入っていなかったのだけど、体力的にギリギリの生活をしていた。

というのも、もともと食細く、中学から給食はほとんど完食できなかったし
高校は弁当だったけれど、半分くらいご飯を残して帰るのが日常で日に日に盛りつけは少なくなっていった。
毎日弁当を躍起になって作っている母はすこし不満げに心配そうにしていた。

小さい頃から身体がえらく弱く、小学校低学年くらいまでは
毎月のように自家中毒を起こして病院へ点滴通いをしていた。
脱水状態になっても点滴を入れれば医者が笑うくらいにすぐさま回復して元に戻ったのだから
医者も両親もだれも心配していなかった。ただ身体が人より少し弱いくらいの認識だったと思う。
今でもふと腕にソリタ T3の冷たさとあの香りを懐かしく感じるときがある。

そんな弱い身体で、焦げるような強い日差しの中夏季講習のために片道30分自転車で毎日通っていた
それがいけなかったのか、あるときから学校にまともにいけなくなってしまった。
どうやら摂取カロリーが必要カロリーを完全に下回ってしまったようである。
親に送って貰ったりバスを使えば良いそう思うが
もうその時点では一日起きていられないくらいに衰弱していて遅かった。

そんなので、進学校だったにもかかわらず午後から登校したり保健室に行ってそのまま帰ったりと
そのあたりから引きこもり生活が始まった。それが今でも続くことになるとは誰が予想しよう。

学校は嫌いでは無かったし、勉強も国語以外は好きで楽しかった
仲の良かった友人も何人かいて放課後になるとくだらない話で遅くまで盛り上がっていた。
ちょうどこの頃、ハルヒブームとニコニコ動画がオタク系高校生の間では
一種のステータスみたいになっていて、話題は尽きることはなかった。

しかしそれも、学校への登校が不定期になってしまってからはずいぶんと疎遠になってしまった。
悪いことに、携帯電話番号やメールアドレスなんかは全く知らないものだから
学校の友達とは完全に縁が切れそうだった。


そんな中、当時ネット上ではweb2.0が叫ばれ、
個人が様々な手段で自由にネットで全世界へ向けて発言できるような流れがあった。

動画共有サイトやブログ、SNSサービスといったネット上のでツールが充実し始めたのだ。
誰もがMixiやブログを持っていて今のTwitterやインスタのように個々が思い思いの文章や写真を載っけていた。

自分の場合は、携帯を持っていない上にコミュ障すぎてミクシィーといったSNSには一切縁がなかったけれど
唯一、ブログというサービスをそれなりに前から使っていて
丁度良く、仲の良いメンバーが皆自分のブログを普通に持っていた。

そんなので当時Amoebaブログを一人虚しくやっていたのだけど、
友達に合わせるように、友人との意思疎通手段としてFC2ブログを立ち上げた。
それがこのCtrl+Zというわけである。

このブログの初めての記事はワコムのペンタブレットintuos3の導入報告だったけれど
あの頃、なぜだか萌え絵が描けることに皆憧れていた。
PCの普及もあってデジ絵が熱くなった頃だ。

世界が、新しい方へと大きく動き出した2007年、
自分は身動きが取れずにこのブログを生み出した。

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雨 庭

2.

上記にあるとおり、自分は、国語力が著しく欠如している。
にもかかわらず、テキストと写真が主体のブログをずっと続けてきたのは一体なぜだったのか?

人間の基本的な欲求の中に、現代的な価値を一つ加えるなら
コミュニティに属していたい、自分を認められたい。
近年の、Twitterや、インスタグラムのブームを見ていると
承認欲求、自己実現欲求が昔よりも強く存在感を増していると思う。

日々リアルな世界でやれることに制限がかけられていく中
自分の中でクリエイティビティが抑えられずにいた。
ブログを始めた当初、ずっとクリエイティブに行こうと言っていたと思う。

今、自分のブログを見返してみると、自分を表現する方法をずっと探っていたのだと思う。
言葉以外の表現方法は世界を見渡せば沢山あるけれど
むしろ、自分を表現するにおいて言葉、文章というのは情報量があまりにも不足していると感じる。

そんな考えの基あるとき、イラストやデッサンを描くことで自分の今を表現しようと試行錯誤した。
pixivなんてサービスが登場してネット上でのイラストの世界が変わろうとしていた頃だ。
専門書を買って何とか読んで、鉛筆とコピー用紙と戦う日々がしばらく続いた。

しばらく絵を描こうとしてみて、自分には絵は無理だと描けば描くほど感じるようになってしまった。


しかし自分にはもともとカメラ、写真という強い武器があったことに気がつき
デジタル一眼レフカメラを買って写真を撮ることに熱中した。
ある意味自分を表現することにそれまでで最も近づいたし
ブログでもプライベートでも写真というのはかなり心強く深い意味を持った。

絵を描くのは時間と強い根気が必要でも写真ならシャッター押すだけだ。
というのも、祖父の時代からうちは代々カメラが好きで家に古い8mmフィルムが残っていたりする。
父は大のキヤノン教で一眼レフカメラやビデオカメラが日常的に家にあった。
そんなので教えられるまでもなく、いつの間にかカメラというもので遊んでいたし
写真を撮るということがあまりにも当たり前だった。

またもう一つ、 コミュニケーション、自己表現の手段として一つあげるなら
写真ともう一つ自分にはマジックがあったと思う。
10年前の自分にはマジックはただの遊びの一つに過ぎなかったけれど
今思うと、マジックに助けられたことは沢山あったような気がする。
知らない人に会い言葉を知らなくても、何となく不思議なことをやっていると心が通ったと感じた。
しかし、ネット上でどうやって手品を表現するか当時の自分は分からずにいたし
マジックで自分を表現するまでに知識やレベルが追いついていなかった。
と言うのもマジックもまた、追求するにおいて専門書籍を読むと言うことが必要不可欠だったからだ。


そんな、活字漫画にも縁がなかった自分だったけれど、
高校のとき友達にすすめられて見たハルヒに影響されすっかりアニメに嵌まってしまい
今でも毎週20~30本のペースで見ているけれど
本が読めない自分にはあまりにも面白い世界だった。
実写では表せることができない、今まで見たことないあまりにも自由な世界に心を奪われた。
こんなにもおもしろい世界をなぜ今まで知ることが出来なかったのだろうか。

それと同時に、当初マカーにしか扱えなかったiPodがWindowsでも快適に使えるようになり
通学中暇だろうと、父しつこくiPod欲しくないかと毎日のように話すようになった。
iPodが欲しかったのは父だけだったのだろうけど
あのwindows98の時みたいにある日突然iPodを買ってきて自慢げにしていた。

当時、音楽を聴く習慣なんてなかったし、JPOPには大して興味がなかった自分には無用なものだと思っていた。

それが、アニメを見始めてから、アニソンというジャンルがあることに気がついた。
PCでこっそりと父のiPodのポッドキャストを消してハルヒのキャラソンを入れて楽しんだりしていた。
当時かなり高価だったiPodを学校へ持っていってこっそり聴いたりもしていた。


中学時代の思い出深いことと言えば、合唱コンクールだったかもしれない。
コミュ障ながら小学校の頃から歌うのが得意で実は声を出すのは好きだった。
よくよく考えてみたら、音楽が結構好きだった。
父が買ってきたiPodに勝手に知っている曲を詰められるだけ詰め込んだ。

高校からiPodを手に入れ、日常的に音楽を聴くようになって
絵を描きながら、ブログを綴りながら熱心に音楽を聴いた。
丁度良く、Youtubeという全く新しいサービスがすでに始まっていて
時間があれば古いJPOPや歌謡曲、少し前のアニソンを聞きかじった。
当時Youtubeの音は凄まじく悪く聴けるギリギリの音質だったけれど
今思うとこれが後々大きな意味をもたらしてくれたと思う。

あまりにも四六時中、ヘッドホンをして音楽を聴いているものだから
またしても母がヒステリックに心配そうにしていた。

iPodで、PCで音楽を聴き続けていたあるとき、
音質、つまりはオーディオという世界を知ることになる。
今ではアニソンオーディオなどといって謎の活動をしているけれど
音楽という芸術があってそれを表現するオーディオがあったことに衝撃を受けた。

アニメを見ながら、歌を聴きながら、本が読めない自分に言葉を学ぶ手段を与えてくれた。
特に音楽は歌えるし普段口にしないような言葉が沢山詰まっていて聴けば聴くほどに世界が拓けるようだった。


特に、世界を広げてくれた音楽アーティストとして岡崎律子の存在を上げないわけにはいかないだろう。
世界で誰よりも岡崎律子を聴いていると自負しているが、
彼女のメロディーや世界観、人生そのものをまるで母、いやそれ以上の存在のようで
尊敬し崇拝し人生の基本的なことを教えてくれた初めての人だと感じた。
生きる意味、オーディオをやっているきっかけの一つ……様々なものを与えてくれたと思う。

アニメを見て、音楽、詩を聴き考え見るほどに、人生が豊かになっていくようだった。
自分の国語力、文章力の根幹には、アニメと音楽がたしかに存在している。



3.


写真にしても絵にしても、やはり一つのメディアや手法ですべてを伝えることは難しいと思う。
故に、写真を撮ってもオーディオをやっていても、文章というのがいつもつきものだと思う。

今ではYoutubeが一大ブームとして世間を騒がせているけれど、
インターネットのコミュニケーションの基本にあるのは今でもテキストによることばにあると思う。

こうしてブログを綴る手段もまた8,9割方、文章、ことばによるものだ。
いつの間にか10年という時間が流れてしまったけれど
逆に言えば、知らないうちに10年もの間文章を書き続けていた。

自分が最も苦手とする、作文をずっとやっていた。知らないうちに。

困ったらインターネットで調べて、歌を聴きアニメを見てヒントをたくさん得た。
アニメを見たら、感想を自分なりに書くし
オーディオを買ったら、記録を出来るだけ文章としてつけるというのが習慣になっていた。

そんなことをずっとやっていたら、いつの間にか文章で言葉で
自分を表現することに限りなく近づくことができていた。

いつの日か、ブログという形で自分という何かを文章だったり写真だったりたまに絵だったりしながら
その時の様子を記録していることに気がついた。
このブログの記事を書くという行為は一つのドットをつける、
ただの点のような存在で多数に存在するそれらを繋げていくと
自分の脳、人生という図、絵が浮かび上がってくると思う。
そうして見えてきた脳は、行き着けば自分の魂であると思う。


世間ではTwitterやブログを幾度となく数ヶ月や数年で消して乗り換えを繰り返している人もいるが
自分はずっと一貫してC+Zブログを綴り続けた。すこしばらけたりもしたが基本的にはここにいた気がする。

初期のあまりのもくだらない記事にもしょうもない記事にも自分の生き写しであることに変わらない。
それを消すなんてなんてもったいないのだ。普通の人はただの恥ずかしい黒歴史ではないかと考えるだろうが
当時の自分は小さく今も大して大きくはなれていないとしても今と比べたら確かに昔は小さいことは分かる。
そんな微妙な違いさえも確かに気づかせてくれるのが過去の記事だと思う。

10年という歳月が記事になって地層の様に積み重なっている。
過去をたどるというのは少し恐怖だったり恥ずかしさがあるけれど
それは紛れもなく、自分が存在したことの証明であり
自分を表現したことに変わりない。

そう、ブログとはもはや自分の生き写しなのだ。


4.

いつのまにか自分を表現する手段そして自分という姿を客観的に見つめる記録が出来あがっていた。
10年前の自分にこの記事を見せたらおそらく半分も行かずに読むことを諦めてしまうだろう。
なにせ、文章を読むのが世界一苦手なのだから。

そんな自分がこんなに長文章をつらつらと書いているのだから不思議なものだ。

パソコンの登場から、沢山の出会いがあった。
それは人であったり音楽であったり過去の自分がくれる気づきだったり。

インターネットの世界は、日進月歩、進化し続け、人の生活もずいぶんと変わった。
いや、この世の中に変わらないものは存在しないのだが、
逆を言ってしまえば、時間が経つのを待っていればどこかしら強制的に変わってしまうものなのだ。
それが自分にとって価値があるのか意味があるのかは分からないけれど変わることは普遍的に変化しない。

現在でも、ブログという古いサービスをいまでも愛し使い続けている
いわば、他人とはワンテンポ後れた人生を送ってはいるけれど
人よりも遅くとも確かにゆっくりと人生は移り変わって行っている。
振り返れば、発語が遅かったらしい自分らしい間違えなくこれが自分の人生だ。

今こうして、10年の歳月を経てようやくブログというサービスを使い倒すことが出来た。
HTMLやCSS、PHPと言ったもう少し必要な知識はまだあるけれど
それはブログの枠を形作っているに過ぎない。言い訳がましいが大事なのは中身だと思う。

次の10年は一体何が出来るようになっているだろうか。

明日どうなっているかなんて誰も分からなくなった昨今で
10年後を考えるのは贅沢だと思う。

また一日、今日を生きて記事が書けて誰か分からないけれどとりあえず見てくれる人がいた
そんなささやかな幸せなひと時を大事にしていきたい。

岡崎律子さんがなくなる間際に残してくれた言葉を心に刻んで。


P.S.
このブログを作る本当のきっかけを作ってくれた高校時代の友人に感謝したい。
いまでは、それぞれ全く違う人生を送って、ブログなんて遠の昔に忘れてしまっていても。

強烈な台風18号が接近して嵐の中頭が氾濫した川みたいに混濁しながら
9月17日という今にしか書けないであろう思いを書き綴ってはみたけれど、
どうやらブログという枠では書き表せないようなのだ。

おそらく3年後には本を書いていたいと思う。

誰かがあのときブログでそうしたように、その時になったらすべてありのまま話したい。

このブログはおそらくまだ当分続くだろうし
この記事の続きは次の記事に簡単にまとめるとしたい。

最近また腱鞘炎気味の指と故障気味の肩を抱えて、とりあえず今日はこの辺でしめるとしよう。

ここまで付き合ってくれた人に感謝精一杯の感謝を
本当にありがとうございました。

おわり

2017年9月17日 みかさ
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みかさ
Posted byみかさ

Comments 2

There are no comments yet.
そうてん  

あえて言おう、乙であると!
そしてこれからもよろしくお願いします。

長く積み重なったブログを見ると不思議に雰囲気があるように思います。
言霊のこの国で長く書き物を続けるという行為そのものが、自分でもわかりにくい自分を表現しうる手段なのかもしれませんね。

あと、自分のブログにこちらへのリンク張らせていただいてよいでしょうか?

2017/09/19 (Tue) 12:44 | EDIT | REPLY |   
みかさ  
Re: タイトルなし

そうてんさん

こちらこそよろしくお願いします。
ことばの力って思っている以上に強力ですよね。

リンクの方ぜひ張ってください。
一生懸命相互リンクを探していたのはどこへやら…今や放置しっぱなしで…(__*)
ブログあるあるですね。

2017/09/19 (Tue) 20:20 | EDIT | REPLY |   

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